偏見と差別意識
昨年『美女と野獣』実写版を観た後、家族にこんな話をしました。
「中世のフランスが舞台なのに、村人や城に出入りする貴族を多人種にする必要があったのかな?そういう配慮が必要なのかな」
家族は冷静に答えました。
「人間が野獣になったりポットや時計になったりするの世界なのに、舞台が中世フランスだと決めつけなくてもいいんじゃない?」
なるほど確かにその通り。
作中で"パリ"と言われていても、別に実際のパリだと思わなくてもいい。
王子様が野獣にされても城の周囲が魔法の森で閉ざされても領地であるはずの村々が平穏なままな世界を"リアルな中世フランス"だと考える方がおかしい。
多人種が入り乱れる世界を"配慮"と考える私の考えは"古典ファンタジーはヨーロッパ舞台で登場人物は全員白人であるはず"という偏見と差別意識によるものだったのだと思います。
今思い出しても顔が熱くなるお恥ずかしい話です。
今月の初め
『弟の夫』初見の頃から“理解”“共感”“偏見”についてずっと考えていて
— 仲冬 (@nakahuyu1101) 2018年5月4日
あくまで個人的意見ですが
「私は他者に偏見がある」
「私は他者を理解できていない」
「私は他者に共感できていない」
という自覚を前提として
どう偏見を無くしていけばいいのか、理解とは何なのかを考えた方がいいのかなと
「偏見なんてない」「私は差別なんてしてない」という意識が前提にあると
— 仲冬 (@nakahuyu1101) 2018年5月4日
無意識の言動を「それは無理解による偏見です」「それは差別です」と指摘された時にむしろ頑なになってしまいそうな気がしていて
「自分の考え感じ方には過ちがあるかもしれない」という意識は持っているべきだと考えてます
「偏見は消せないし共感なんてできるわけないから仕方ない」という開き直りではないです、勿論。
— 仲冬 (@nakahuyu1101) 2018年5月4日
自分の考え感じ方をを全肯定しちゃうのは危ないよね、という意識というか(全否定も駄目だと思いますけど)
“分かったふり”が一番やっかいかもしれない、と自身を振り返って思ったことがあったので。
こういうツイートをしたのは、上記のような恥ずかしい経験があったからでもあります。
実際のところ、世の中に溢れる偏見や差別について完璧に理解できていることなど何一つないような気がしています。
そして、「理解できていない自分」を前提にすることで「思わぬことで人を傷つけることがある」ということを忘れないようにしたいのです。
ちょっと話がずれますが、少し前にカラオケに行きまして、V6の『刹那的Night』を歌ったんです。
ファンの方はご存じだと思いますが、この曲はアルバム収録曲ながらMVが存在します。しかしカラオケではMVは流れませんでした。
歌った後ふと「この曲本人映像じゃないの残念。MV格好いいからあの映像見ながら歌いたかったな」と言うと
同行者が「ああ、ジャニーズだからでしょ」と言うのです。
これまたファンの方はご存じだと思いますが、V6に限らずジャニーズのグループの曲でもカラオケで本人映像を見ながら歌える曲はたくさんあります。
実際、私もこの同行者の前で何度かV6の本人映像が流れる曲を歌ったことがあるんです。
また、ジャニーズ所属以外の方の曲でも本人映像が流れないものはたくさんあります。
同行者が歌った曲もほとんどは本人映像では無かったと思います。
にも関わらず、ただ1曲MVが流れないだけで「ジャニーズだから(規制があって本人映像が流せないん)でしょ」と言われてしまう。
この同行者はジャニーズについて好きでも嫌いでもないというスタンスです。
そういう人でも先入観だけで「ジャニーズだから」と言ってしまう。
これもまたジャニーズという存在に対しての偏見なのだと思います。
こと趣味ごとや小さい(と周りから思われがちな)ことほど周りからの偏見や差別意識を感じても口にしにくいような気がするんです。
偏見に対して反論すると「心が狭い」「これだから○○オタは」と逆に反感を買ってしまうんじゃないかという気持ちもあったりして。
でも、自分が好きなものや自分が大事にしているものが、偏見の目で見られている、差別的に扱われていると感じたなら、ちゃんと反論主張すべきだと思います。
例えば好きなタレントさんが所属事務所を理由に「ごり押しだ」と言われたとき
例えば大手芸能事務所だから「TV局や各所に圧力をかけている」と断言されたとき
例えば他企業・他事務所とさして変わらない対応をことさらに取り上げて「異常だ、ブラック企業だ、怖いところだ」と批判されたとき
「それは偏見ですよ。差別的に扱ってますよ」と言っていいと思うんです。
通じるかどうかは分かりませんけど。
自分の中には偏見や差別意識があるかもしれないという自覚を持っておくことと
他の人の偏見や差別意識を見て見ぬ振りしないことが
偏見や差別を無くしていく一歩になるのではないかなあなんて考えたりしています。