私が追いかけているのはいつだって過去のあなた

私が目にしている岡田さんは常に過去の岡田さんなんだよなあと時々考えます。

 

映画にしてもドラマにしてもTV・ラジオや雑誌のインタビューにしても、私の目に入るのは早くても数日~数年前のものであることがほとんどです。

リアルタイムで(生放送だったり、ライブや舞台だったり)でその姿を見ていたとしても、その裏でどんなお仕事をしているのか、どんな話が進行中なのかなんて知ることはできません。

 

いつも過去しか見られないという点では、少しばかり長く岡田さんのことを知っている私も、今この瞬間岡田さんファンになったという人も同じなのかもしれません。

 

少しばかり長く知っているせいで過去に囚われすぎることがあります。

比較的最近の岡田さんのインタビューや連載を見聞きして「前はそんな風に言ってなかったのに」「昔はこうだったのに」と思ってしまったりします。

人間なのだから、時間が経過すれば変化するのは当然のことなのに、ただ昔(のほんの一部)を知っているというだけで全てを知ったかのような気になって、自分の記憶と異なる部分を否定しようとしてしまったりする。

傲慢だなあ、と我ながら思います。

もし自分が「学生時代こんな風に言ってたよね」「10年前はこうしてたのに今は違うの?」なんて言われたらどう思うか。

そんな簡単なことが、相手が有名人であるというだけで、自分がファンであるというだけで慮れなくなる。情けない話です。

 

岡田さんについて変わらないのは「岡田准一である」ということだけで、他はどこがどれだけ変わってもおかしくない。

それが私にとって受け入れられるものであるかどうかは私の勝手で、いつだって彼の過去を追いかけることしかできない私に、岡田さんの変化をどうこう言える権利なんて無いんだと思います。

(と言うより例えリアルタイムで全てを知っている相手であっても他者の変化を非難する権利なんて無いのですが)

 

岡田さんの新情報が入ってくるたび、新しい言葉を見せて聞かせてもらうたびに

「もうこの言葉は過去のもので、既に岡田さんは私の知らない未来に向かっているんだなあ」と感じます。

過去しか見えていないと考えると少し寂しく感じることもありますが、いつも私の知らない岡田さんが未来にいると思うと、それはそれでちょっとワクワクもします。

 

岡田さんはどんな今を生きてどんな未来にいるのか。それを知れる日が来るのが楽しみで仕方ありません。