敬称と距離感

普段私は岡田さんのことを「岡田くん」と呼びます。

V6のメンバーについても大体くん付け(井ノ原さんはたまにイノッチ)、その他の芸能人著名人の呼び方は、さん付けくん付けちゃん付け呼び捨てさまざまです。

 

しかしブログとツイッターを始めたとき、敬称はさん付けで統一しようと決めました。

理由としてはまず最初の記事を書く際に「この内容にくん付けは何となく合わないな」と思ったから

そして「自分の文章を見返したときに敬称が統一されていないのが気持ち悪い」と思ったからです。

上に書いたように普段は色々な呼び方をしますし、他の方が敬称をどうされていても文句があるわけではありません。

意図的に貶めるつもりがないのであれば、岡田さんでも岡田くんでも准ちゃんでもジュンピーでも呼び方は自由だと思います。

 

「さん付けはむしろ親しみを込めた呼び方、さん付けよりも敬称無しの方が敬意を込めている」という意見を見たこともあります。

完全同意はできませんが、何となく分かる気もします。

豊臣秀吉より太閤さん、西郷隆盛より西郷さんの方が親しみがわきますものね(・・・そういうことでしょ?)

ただ私は私自身の書く言葉について、呼び捨て=敬意を込めている ようには表現するスキルはないので最低限の礼儀というつもりで「お名前を書く時は全員さん付け」と決めました。

とは言え、歴史上の人物や架空の人物、海外のスターさんなどを呼ぶ際にはつい呼び捨てにしてしまうのですが・・・まあそれはそれとして。

 

不思議なもので岡田さんのことを「岡田さん」と書き続けることで思考も「岡田さん」と呼ぶようになります。

人と話すときもふと「岡田さん」と呼んだりします。

そして「岡田さん」と呼ぶことで、私の中での岡田さんへの気持ちの距離感が少し変わったように感じています。

何というのか、今になってようやくちゃんと「一人の独立した成人男性」だとちゃんと認識できてきたように思うのです。

今までだって身内のように思っていたわけでも子ども扱いしていたつもりもないのですが

やはり「岡田くん」より「岡田さん」の方が適切に距離を置けているような、そんな気がするのです。

 

こう書くと気持ちが離れてしまったかのようですが、決してそうではなく

自分の無理のない温度と距離感で岡田さんを応援することがようやくできるようになってきた気分です。

岡田さんが充実していると嬉しいなあ、活躍して欲しいなあ、幸せだといいなあという気持ちと

岡田さんの何もかもを把握しようとしたり知った気になる必要は無いんだよなあ、だって私と岡田さんは全く違う場所に生きる他人同士なんだから、という気持ちのバランスが

今、とてもちょうどいいです。

 

あまり深く考えず決めた自分ルールが岡田さんを応援する気持ちの手助けをしてくれているようで

去年の私GJ!と思いながら(笑)今日もほどよい距離感で岡田さんを応援しています。