それは本当に"異常な狂気"か
※注意※
この記事には『ラプラスの魔女』のネタバレが含まれます。
作品を未読、未見の方はそれを踏まえた上でお読みください。
先日映画『ラプラスの魔女』を観てきました。
予備知識無く観たので色々驚くこと不思議に思うことありましたが、面白い映画でした。
原作小説も購入し、登場人物のバックボーンを補完をしたり映画と違う点を楽しんだりしながら数日。
ずっと考えていることがあります。
それはある登場人物の"狂気"についてです。
彼は自らに関わるもの全てに完璧を求め、自分の理想通りにあることを望みました。
そして理想通りにならない相手に対し凶行におよびます。
作中そんな彼の考え・行動は特殊かつ異常で"狂っているもの"として描かれます。
映画ではキャストのビジュアルも相まって更にその狂気が際立っていました。
しかし現実世界を見ていると、"果たして彼の狂気は特別で特殊なものなのだろうか"
と思えてくるのです。
例えば虐待、DV、ハラスメントなどは
自分の理想を押しつけ、思うとおりにならない相手を言葉や暴力で服従させようとするという狂気だと言っていいと思います。
例えばテレビや新聞、ネットニュースなどでも
ある人の発した言葉が切り取られ、あるいは不自然につなぎ合わされ、発言の本来の趣旨とは真逆の意味であるように変えられてしまう。
ある側のマイナス点だけをことさらに取り上げ、逆の立場の人達が起こした不祥事には見て見ぬ振りをする。
こういった事例はニュースという名前こそついているけれど
実際は発信者の『理想的な物語』を作り上げるためのという狂気が為したことなのではないでしょうか。
例えば誰かの熱心なファン・支援者を自称している人が
応援している(つもりの)お相手のちょっとした言動、もしくは信憑性すら怪しい情報をきっかけに
「裏切られた」「あの人は○○失格だ」と非難したり
自分の思い描く理想の行動をしないからという理由で
「きっと誰かに圧力をかけられて行動を封じられているに違いない、私達が助けなければ」
なんて勝手に思い込んでしまうことも
『自分にとっての完璧な物語』の筋書きから外れることを拒む
『理想』に捕らわれた狂気と呼べはしないでしょうか。
誰かを完全な善や完全な悪に仕立て上げようとしたり
誰かに勝手に理想像を押しつけたり、勝手に失望したり
世の中にはそんな"異常な狂気"が"ごく普通の感覚"のふりをして溢れかえっているのではないかと考えてしまいます。
誰かに、何かに、期待をすることが悪いことだとは思いません。
高い理想を持ち、そこに向かって邁進していくのは素晴らしいことでしょう。
しかし、周囲全てが自分の思い通りにならないということを
分かっているようで、実は理解できていないのではないかと思ったりもします。
愛情を届けたかったはずの言葉は
期待を伝えるはずの声援は
正義を、真実を訴えるためだと叫んだ声は
自らの『理想』と『完璧な世界』を成立させるためだけのエゴになってはいないか
そしてそのエゴが毒となり、誰かの心を傷つけ、殺そうとしてはいないか
それを常に心に留めておくべきなのではないかと考えたりしています。