左利きの恨み言 (で終わらせてはもったいない)

2月10日は0210(レフト)の語呂合わせで左利きグッズの日だそうです。

 

このブログやツイッターに書いたこともありますが、私は左利きです。

右利きの人向けに作られた様々な道具や、「左利きは不便だから」という理由で右手を使わせようとする大人達(子どもの頃の話ですよ・・・)にそれはそれは嫌な思いをしてきました。

最近は昔のように右手を使うよう強制("矯正"は右手=正しいと言われているようで何となく嫌なのです)されることも少なくなっているようですが、左利きには不便な道具・設備が数多くある状況は依然続いています。

 

しかし実際のところ、右利きの方からすればどのような場面でどういう不便が生じているのかなんて想像もつかないのではないでしょうか。

例えば先日、家族と話している際に「横口レードル(先の細くなったお玉のこと)は左利きの敵」だと口にしました。

すると右利きの家族はきょとんとして「え、何で?」と聞いてくるのです。

「あれは右利きの人向けに作られていて、左手だと注ぎにくいんだよ」と説明しても

「右と左でそんなに使い勝手違うの?逆の手で持つだけでしょう?」なんて言うわけです。

また別の日、こちらは職場での話。

ある作業で油性マジックを使って文字を書く必要がありました。

できるだけ大きく目立つように、との指示に対し「油性マジックの極太字は左手では太い線が書きづらいので太字を使いますね」と答えたところ

「え?何で?書けるでしょう?あれに右手とか左手とか関係あるの?」と。

それぞれ目の前で左手で使って見せれば納得してもらえるのですが、当たり前に何の不自由も無く右手で使っている人からすれば、どの道具の何が不便なのか、なんて想像することすら難しいわけです。

人類の約90%が右利きと聞きます。こんなにも不便に気付かれていないのでは左利きでも不自由しない世界なんてそうそう来ないんだろうな~・・・なんて思ってしまいました。

 

なんて愚痴はさておき、翻って私自身はどうか。

普段の生活の中で何気なく使っているもの、設備、生活環境の中で

「他の人からすればこれは不便かもしれない」と教えてもらうことなく気付けるものが一体いくつあるのか。

左利きに不便な世界を嘆きつつ、自分とは異なる部分での不便を感じている人にどれだけ共感できているというのか。

正直、何も気付けていないし共感できていないと思います。

牛乳パックの切り込みやシャンプーボトルの横の凹凸など、これがユニバーサルデザインですよと教えてもらって初めて「ああ、確かに」と。

他人にはぐちぐち文句が言えてもこんなものです。

でも、「気付けない自分に気付けた」のは左利きのおかげかもしれません。

 

実感できない不便に気付くというのは大変難しいものです。

そして誰かが気付いてくれたことによって当たり前に享受できている便利に気付くのも難しいことです。

上に上げたレードルは決して左利きの人間に苦痛を味わわせるために生まれたわけじゃありません。右利きの人にとってはとても便利な道具です。

そして気付かれにくかった不便を指摘してくれた人がいたおかげで、最近では左右どちらの手でも注ぎやすい両口のレードルも少しずつ(本当に少しずつですが!)増えてきています。

当たり前のように思っていた便利さと不便さに気付けること、そこから改良を加えより多くの人が便利に快適に日常生活を送れるようになること。

左利きグッズの日の本当の意味はそこにあるのかもしれないな、なんて考えたりしています。

 

どこかで誰かが、私が気付かない感じない不便や不快を訴えているときに

「別に私は不便(不快)じゃないし」「そんなの自分でなんとかすれば」と思うのではなく

「どうやったら不便が解消できるかな」「できるだけ多くの人が快適に過ごせるようになるには何ができるかな」と考えられる人になりたいし、ならなければいけないなと

いい年をして今更に考えます。

 

本日2月10日

私にとっての誰かにとっての、便利なものや不便なものに1つでも気付ける日にできたらいいなと思います。